2004/03/08 (月)
●『イノセンス』 さて,なんと書いたらいいのだろう。
ちんまりはおもしろかった。堪能した。美しく切なかった。
映画(と,これまでに積み重ねてきたアニメ版『攻殻機動隊』との日々…)のみを持って語るとそれはとても楽しい時間だった。ちんまりにとって。でも,一気にジャパニメーションというものがメジャー化しつつあるこの状況の中で,これまでのように無邪気に語ることは,正直「なんだかなぁ」という気分にもなる。
とは言え,ちんまりひとりがここでとやかく言うことなんて,これまでも,そしてこれからも何ら大勢に影響を与えないことであるのは間違いないので,こうやって佇みたくなっている「気分」は,本当にくだらない,個人的な感傷でしかないってこともよくわかってるつもりだ。
「ジャパニメーションというものがメジャー化」って陳腐なレッテル的表現を打ちこみながら,80年代ごろに日本でTVアニメーションが量産化されはじめた時代のことをちょっと思い出した。アニメ誌が何誌も何誌も創刊された時代だ。あのときのちんまりの「気分」と今の「気分」はどう違うのだろう(違いがあるのは明かだ。ちんまりはあの祭りに乗っていたのだから)。これについてはもっと深く考えてみたい。
ちんまりは,とっくにアニメマニア(アニメオタクでもいいけど)からリタイアしたクチだ。声優アイドルブームにも,90年代後半からのTVアニメーション量産化にも乗れなかった。必死で毎週アニメを見ることもなくなった。ガンダムSEEDだけは,義務だと思って見てたけど,正直途中で何度も脱落した。キングゲイナーはDVDで後追いした。攻殻機動隊SACについては,見せてくれる友達がいるから全部見てる。でも,個人でペイチャンネルに登録してまで見ようとは思ってない(作品自体はとても気に入っていて,楽しみに見ている)。そういう立ち位置の変化が,今回の『イノセンス』やその他のジャパニメーションブームに乗りきれない理由なのだろうか。
ってどうでもいいことはさておき,『イノセンス』,数あった特番等は見ず,ネット上で公開されていたトレイラーのみを見ただけで行った。少女姿の素子らしき姿のカットを見つけたので,そのシーンが楽しみだった。
六本木ヒルズは「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」がメインっぽかったな(これも楽しい映画だよ)。『イノセンス』は小さい部屋の上映で,けっこう空席があってどうしたことかと思った。やっぱ一般受けしないのかなー。でも一般受けしてたらまたグチグチ言うくせに>自分。はじまってすぐ,トレイラーで流されていた主題歌「Follow Me」じゃなくて,ちゃんと傀儡謡がふにゃーんと始まったのでうれしかった。
ストーリー全体は,TVシリーズ30分×2回とかで,やろうと思えばやれちゃうボリュームかもしれない。
結局,人間は体に拘るし,人形は魂(=人間化)が欲しいのだなと思った。だけど均一なるマトリクスの裂け目の向こうへ行けた素子だけがその拘りを乗り越えた次元にいる。
最後の「Follow Me」はどう解釈すればいいのか。どう解釈すればいいのかと疑問に思うところが旧時代のオタクなのか。魂を重力に引きづられた人種なのか。っていうかすべてのガンダムのセリフで語るオールドタイプってことか。…ってことはどうでもよくて,「Me」とは誰か。「Me」がいる立ち居地とは? 「人間」と「人形」の垣根が無意味になった世界へいらっしゃいということでいいのかな。誰か本店に,映画の冒頭にあった引用句を転載してくれるとうれしい。ああいう世界にいらっしゃいってことだと思うんだけど,あそこの句がもう一度よく見たい。つーか自分でまた見に行けってか。そういう映画か。そうかそうか。 ぺこり。
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