2005/01/22 (土)
●ちんまりの感想いろいろ ・正直,全体のサマリーはしばさんの日記ちょうのが言い当ててるのでそっちを読めば十分。
・今回,ちんまり的には久しぶりの富野さん講演拝聴の機会だったので,ネタが新しくてよかったです。ちょうど,中沢新一の「僕の叔父さん」や井上順孝の「宗教社会学のすすめ」を読んでいるところだったので,興味のあるトピックスでもあったし。(しかし,話題になった時代についての知識は大学受験レベルでしかないので今イチついて行けずに残念。富野監督が言ってることも最もだが事実として読んだこととちょっと違ってないかとか思ったり,その記憶に自信がなかったり)
・今回は質疑応答がけっこうおもしろくて,いわゆる空気読めてないやつとか(笑い),その逆で,どうにかしてトピックスにかぶせようと努力してくる人とか,発言者のキャラクター性がなんとなく垣間見えたところが。
・富野監督の,宮崎駿に対する言説はちょっとずつ変化していると思うのだが,それは彼の中で変化してきてるというより,より正直にストレートに言えるようになってきたんじゃないかなと思う。あと,押井はシャイor負け惜しみで言ってるだけだから真に受けないでやって>監督。
・また思いついたら書く。 ぺこり。
●北里大学薬友会,第23回北里大学同窓会講演会 「ガンダムから25年 ニュータイプに至れるのか?」内容 富野由悠季監督講演でのメモです。
・同窓会副会長鈴木達夫氏より開会の辞 ・その後講師紹介。 「キャラクターを最後にはすべて殺してしまうことからミナゴロシのトミノの異名を…」とのくだりあり。 (この企画のどこかに富野オタの存在を感じる。)
-- ※以下,「()」か「→」はちんまりの感想or状況説明。それ以外はメモ。
→壇上から客席を見回して,まず,「今日,話そうとしていたことの,(公演開始から)45分後あたりに話そうとしていたことを最初に話します。」的宣言。どういう客層か予想できなかったので…とのこと。
・NTとはなにか,解答が出ないまま今日に至った。 ・人はもう少し進化(革新)できると思っていた。人としてのレベルが上がるというか。いうなればドイツ語のアウトヘーヴェンしていくと。 ・エスパーにするのはいやだった。 ・絶対平和という世界があったら人はどう行動するか。おそらく人間が上等になっていったらそれ以上進化しなくなる。 ・今は,種の改造,DNAの操作などがあるがその結果も人なのか。 ・NT論は,↑このよ、な生体としての進化論として考えたくなかった。
・軋轢があるからがんばれる。軋轢がなくなったら,人として,種として,生きられるのか。
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・日本の歴史のなかにはNT的に暮らしていた時期があった。平和を維持できる体制。平安の350年・江戸の250年,戦争がなかった。
→ネタ本,山折哲雄の「日本宗教とは何か」を紹介。 (「日本文明とは何か/パクス・ヤポニカの可能性」と思われる)
・人間は,争いが好き。戦争が好き。動乱・革命の時代だけ,日本史的に扱われる。
・農業は,反自然的行動である。人為的栽培,収穫,品種改良…。 ・ミックスされるカルチャー。原住民,半島,南方からの流入。温暖な気候。それらがまざって神道をうみだした。
・神道に関しては文献がない。
・反自然的生活には自然災害や病がおこる。そういう災いを起こす何かの力を神と呼び,それらをなだめる祈りをささげる。それが神道。 (ちょっとイデを思い出しました。)
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・つまりこういうことです。 (くちぐせですね)
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・大乗仏教が入り,加持祈祷のスタイルが生まれる→それを政治的に利用するようになる。 ・たとえば「菅原道真」の祟り。流刑にしたら都に災いが起きた。神として拝むから祟らないでくれということで神格化。人を神にする。 ・神と,恨み辛みを一緒に拝む。こういうことで浄化され,現実的に(恨みを晴らすような)行動になりにくい→政治的な反逆を生みにくい。
・祟るものを拝んで神とする。祟るものを拝んで浄化・崇拝していくことで自分たちのフラストレーションも消し去ることできる。 ・こういう思想は病理的・うつ病的空間で生まれた思想かもしれない。オタク的でもある。 ・ここではオタクという語を自閉的とは捕らえない。
・ならばオタク的なものが,21世紀の今も世界をよくするのかもしれないという視点も考えられる。
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・能という芝居…つまらない。 ・立身出世の世の中ではない平安時代は「つまらない時代」。華道,茶道,庭などをやってウサを晴らす。 ・上記の芸に共通しているのは作法。作法=反自然=オタク的。 ・もちろん,たとえば「庭の美」というものは無くはない。つまらない時代に,そういうものを1点突き詰めていくことで,死ぬときに,その死を受け入れられる心境になれる。 ・借景や盆栽…他人への憎しみ,殺したいという気持ち,そういうものもすべてを一点集中させて,「庭」に落とし込む。
-------以下,質疑応答------
(質問1:オタ女。メモに「サーヤ風」とあり。30代? シャア萌えか。)
Q.映画Zガンダムではラストにカミーユが幸せになるそうだが,それではZZにつながらない。逆襲のシャアにならなくなる。
- A. ・ZZのことはもう思い出せない。 ・カミーユが映画で幸せになるのかはわからない。 ・旧作のことはほとんど思い出せない。Zで思い出せたことは主人公の名前と,ジェリドというバカがいたことだけ。 ・昨年出たNHKのトップランナーで,出演直前にZの映像を流すといわれてスタッフとけんかをした。 ・20年前のフィルムが良いと思う人はいない。 (おそらく,人=クリエータ)
・TV版のラストで,「カミーユは狂った」とは言っていない。それはアニメ雑誌的なデータで語っているだけ。
・絵コンテは去年の9月? →後方のスタッフに確認 ・絵コンテは去年の7月ぐらいにまとめた。
・映画のラストで「幸せになる」とも言っていない。 ・映画Zは,ダイジェストとしては上手にまとまっている。 ・映画Zは,新作で3本作ったといいたい。
(正直,この質問が出たときは場内に若干「はぁ(;´・`)?」的空気が流れた。富野さんもちょっと「え?」という感じだったと思う。それまでテンション高く歴史の話をしてきて,いきなり「カミーユは幸せに…」だもん。とにかく流れのブチきりっぷりがすごかった。ある意味オタク的だった(笑い)。 ちなみに質問者の女は,能・華道・茶道とかの話が出たとき,富野さんが「こういうの好きな人いる?」的に会場によびかけたのだが,手をあげていた。ある意味オタク的だった(笑い)。)
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(質問2:メモには「オタ」と書いてある。男性。 正直,前の女のインパクトが強すぎてメモが不完全。意図をちがえている可能性もあり。)
Q.能などはオタク的とは言われているが,今も芸能として伝承され認められている。それに対し,オタク的な趣味(アニオタとかのことと思われ)は悪く言われているがそういうことについてどう思うか。
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A. ・(伝統芸能は)家元制度で今に伝わっている。家元制度もオタク的。 ・健康的なこと(おそらく精神的な健康も含まれるニュアンス)が後々まで伝えられる・伝えられないということではない。健康的なことはあたりまえのこととなる(規範になる)のでわざわざ「伝えられる」ことがなくても伝わっていく。
・現代は,偏ったデータが出すぎる。 ・現代は,昔と,データの伝わる早さも違う。 ・ネットに伝わる情報は本当に情報足りえるのか? ・しかしハードウエアや電子的データに罪はない。
・(要するにそれらの情報を前にして,)我が何を成すか?が問題。自律的に情報を捕まえることができるのか,それが問題。
・新聞はめくることで,目的とは違う脇のことにも引っかかる。ネットではそれがない。
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(質問3:メモには「オタふつう」と書いてある。ふつうの青年。話し振りも大変まともな人。) Q.監督はTVシリーズを主にやってきたが,TVシリーズなりのよさはなにか? たとえばほかに著名な監督,宮崎やりんたろうは映画で知られている。押井はあるインタビューで「TVでは自分の表現したいことはしきれない」と言っている。
A. ・能力がなかった。 ・(映画を作れるだけの)集金能力もなかった。 ・演出力だけで映画は作れない。富野になら映画を作らせてやってもいいなと出資させるだけのチャームポイントもなかった。 ・TVがすきかといわれたら嫌いです。 ・しかし,映画をスッピンで作れるかといわれたらそういう自信もない。TVの1スタッフにしかなれない能力しかなかった。 ・(押井の言説について)好きに表現することで商売になる人はいない。 ・宮崎のような能力が欲しかった。 ・TVの仕事は生活のためにやった。好きでもない。TVを作るときは(見ている)子供のことは考えていない。しかし見ている人のことをちょっと考えようと思って作っている。 →ここで,昨年の夏あたりにやってたアニメをネガティブに揶揄。 ・アニメーターが監督をやったり,俳優が監督をやったりするのは成功しない。 ・普通程度の才能の持ち主は,職業を通してまっとうになっていく。 ・TVアニメ製作は,自分にとって経験を積む場だった。 ・人は簡単にうぬぼれられる。自分にも映画が作れると思っていた時代があった。でもそういう機会はなかったし本当は能力もなかった。 ・死ぬまでがんばりたい。 ・こうやって人の前で話していることは,自分も浄化されていく行為。
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(質問4:質問者についてのメモなし。たぶん男性だった。まあ質問からしてもそうだけど。) Q.NTという概念は映画Zで結論が出るのか。
A. ・(結論が出るということは)ありえません。 ・映画では,主人公が幸せになるかもしれない。
・生きている身体…明日も幸せに生きられるかもしれないという安心・希望
・公家文化=身に寸鉄を帯びずに生きる。政教一体化
(最後のほう断片的ですみません)
---- (質問5:女。だったと思う。メモなし。) Q.監督の作品では風景が重視されている。ブレンの海,ターンエーの森,キンゲのシベリアなど。文化の条件としての地理的条件を作品に反映させていると思われるがそれについて。
A. ・基本的に自分が興味を持つ土地を舞台に ・次の作品は山口県の岩国。日本にとってヤバいところ。米軍基地のある町。
・キンゲのときにバイカル湖周辺にでかけた。(日本の山とは比類できない雄大な自然が残っている)あれを見て,まだ地球は大丈夫だと思った。 ・日常的に見ている(日本の・東京の)風景だけでは(地球全体の自然環境・環境破壊などについて?の)判断を誤ることがある。 ・景色をもっとメッセージ性を持って出したい。
--- (多分ここで質問6? メモが不十分) Q.
A. ・殺してやりたいという気持ちを目に込める。 ・自分の作品に出てくるキャラクターはオタク的。みんな偏りがある。全人的なキャラでは話がつまらないからだ。 ・全人的な人はいない。私たちはオタクかもしれないという謦咳感(?形骸感…は違うと思う。単に警戒感か。)を持って生きよ。 ・コクドの堤氏は企業を私物化することについて非常にオタク的であったことがわかり騒がれている。あれを見ていると,アニメオタクなんてかわいいものだ。
--- (質問7:女。見た目,別の意味でコミケにいがちなタイプ。質問態度や内容は普通にちゃんとしていて良かった。ふつうに良い質問だったと思う) Q.現在社会における身体性の喪失について。監督の作品では祭りなどの描かれ方から,身体性や共同体との団結に重視されている様子が伺われる。
A. ・身体性という言葉でくくってしまうと体育会系になってしまうが,とにかくすべての意味を含めて,あなたのカラダという意味での身体。身体は,育ててくれたものすべてが,自分に預けてくれたものだと考えるべき(そういう意味での集団性)。 ・(いつものパターンですが,個性のほうに話がずれて)お前程度に個性なんかない。ないから今日まであくせくしてきた。もしくは,今日まで生かされてきたのだ,と思う。
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